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日々思いつくままに


俳人雄姿の日常
by yuusimatuda

柴又へ吟行、帝釈さまの会館で句会を開いた

08,9,7(日)



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「笹鳴会」の吟行で柴又に行って来た。この吟行会はもう10年近く続いている。
今日は1日柴又を歩き柴又帝釈天の鳳翔会館で句会を開いた。

柴又は帝釈様と矢切の渡しで知られている。
特に矢切の渡しの歌謡曲と寅さんの映画がヒットしてから、広く知られるようになった。

古くは柴又を島俣と言ったらしい。
昔から、農業の盛んな土地で、昭和の初期まで付近一帯は農地であったという。現在はその面影は無い。

矢切の渡しのある江戸川は、元は利根川の本流で太日川と言った。
家康が利根川の流れを銚子の方へ変えてから、江戸川と呼ぶようになった。江戸時代、関東や東北の物資は利根川を通り関宿から江戸川に入り江戸に運ばれたという。

先ず、金町線の柴又駅で降り、柴又八幡に詣でた。この社は6世紀後半に造られた古墳の上に建っている。埼玉の稲荷山古墳と同じ頃だ。それに比べ規模はかなり小さいが、それでもこの地の有力者だったに違いない。
以前は幾らか古びた感じの社であったが、今回、訪ねると境内は整備され、当時の面影はなくなっていた。

帝釈様は、日蓮宗のお寺で初詣や60日に1回の庚申の日に賑わう。今日は日曜日で思いのほか人出が多かった。

江戸川へ出ると、矢切の渡しは、朝から観光客で賑わい船頭さんも大忙しだった。
柴又と云うと先ず川千家と川甚の鰻、門前の草団子が名物、従って、昼飯は川千家の鰻を食べることにした。

昭和55年から2年ほど、仕事で帝釈さまの初詣や葛飾花火等でこの地に深く係わった思い出がある。
当時、まだ、四十台半ばだった。
ここに来ると当時のことが思い出され懐かしくなる。

その頃から、帝釈様と門前の様子は余り変わっていない。しかし、お寺の裏から、江戸川にかけては、寅さん記念館が出来たり、土手通りが整備されたりしてかなり変わっている。
それにしても都内の他の土地に比べると変化が少ない方かも知れない。

   寅さんのだぶだぶ背広秋暑し
   酔芙蓉寅さん自慢はじまれり
   弾き猿かちかち弾き秋暑し

by yuusimatuda | 2008-09-07 22:55
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