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8月19日(火)
ここ2,3日涼しかったが、今日はまた少し暑さがぶり返した。 今朝、近くの三匹獅子で知られる西光院に立ち寄り、しばらく蝉を聞いた。 蝉の声も、もうすっかり秋の気配がする。 静かに耳を傾けていると、いきなり頭上で熊蝉が鳴き出した。 これまで、この付近で熊蝉を聞いたことがなかった。 従来、熊蝉は箱根が境でその東にはいないと言われていた。 子供の頃から、最も親しんだ蝉である。しかし、懐かしいはずが、ここでこの蝉を聞くと何となく場違いで異様な感じがする。 これも地球温暖化の結果だろうか。 故郷でこの蝉を聞くと心弾むが、ここで1匹だけの熊蝉を聞いていると何となく淋しくなって来る。 1昨日の句会で、私の句とよく似た句が出た。先生はその句を特選に取った。 七歳の児が七十に敗戦忌 晋子 私の句は「敗戦忌十一歳が七十に」だった。 「七歳の」句は7の重なりで、「11歳」よりすっきりしているようだ。ただ、この句は「児」があり、これが余分なような気がする。作者自身のことでないような感じがするのだ。しかし、私の句は自分のことだが。晋子さんの句の7,7の重なりには語呂が及ばない。最近、類想類句が問題になっているが、この類の句は一番類想類句を呼びそうだ。この句は問題があるが、私の句は先行句として許されるかも知れない。晋子さんの句が先だったら、私の句は捨てるほかなかった。 日向ぼこ仏掌の上にゐる思ひ 林火 大仏の掌にある思ひ日向ぼこ 狩行 この2句も類想と云うより類句だ。林火先生の句の方が上手に出来ているが、狩行先生の句が前に出来ている。狩行先生は類想類句が大変嫌いな人のようだ。この林火先生の句にはかなりの抵抗を感じたのではなかろうか。 降臨の仏の素顔蓮開く 蓮開く一片の雲水に浮き 蓮の葉の裏返る風涼気呼ぶ 夕方句会に出席するため早めに出発、湯島で降りて2,30分不忍池の蓮の花を見た。今年は蓮の生長が素晴しく、花も大振りで見事だ。それにしても蓮の句はどうしても末香臭くなる。
by yuusimatuda
| 2008-08-20 00:06
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