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日々思いつくままに

牛久の芋銭旧居を訪ねる

10,10,7(木)

午後ウオーキングを兼ねて牛久城址の小川芋銭の旧居を訪ねた。

牛久城は戦国末期に築かれ江戸初期に廃城になった。三方を沼に一方を空堀で囲まれた堅固な城だったという。江戸時代は牛久藩1万石の本拠地として陣屋がここに置かれていた。
小川芋銭は明治元年赤坂の牛久藩の藩邸で生まれた。しかし、間もなく廃藩置県となり家族は牛久に帰り帰農したという。芋銭は長じて画家の道に進んだが、終生この地を愛し71歳でここに没している。
牛久沼は広い。昔はもっと広かったという。芋銭はこの沼に棲んでいると伝えられた河童の絵をよく書き、河童の芋銭として知られていた。
現在、芋銭の旧居「雲魚亭」が牛久藩の陣屋跡に資料館として残っている。
その近くに芋銭の河童の絵を彫った碑が建っていて訪れる人が多い。

往きはJR佐貫駅からタクシーで城址へ牛久の芋銭旧居を訪ねる_c0167560_2194287.jpg

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河童の碑
10数年前、「百鳥」創刊間もなく、この河童碑を見て
   春愁や河童の口の尖れるも(鶴唳)
を作っている。
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雲魚亭の玄関
雲魚亭は生憎休館日で閉まっていたが、三面は硝子張りで外から中の様子を覗け幾分助かった。
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得月院裏の芋銭の墓、半月遅れの曼珠沙華が満開だった。
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牛久沼の夕日
帰りは牛久城址から佐貫駅まで歩いた。途中、近道をしようと細道に入ったところ、道が行き止まりになったり、曲りくねったりして余分に歩く羽目になってしまった。しかし、良い運動になった。

   一万石の城の空堀木の実落つ
   膝を抱く芋銭の河童秋深し
   膝を抱く河童と秋思分かちけり
   沼の日に柿の色づき雲魚亭
   墓碑名は芋銭の自筆秋日濃し
   彼岸花遅れ咲くとも佳き事あれ
   蛇行して刈田の中を暴れ川
   利根渡り沼越えて鳥渡りけり
   

   
  

by yuusimatuda | 2010-10-07 22:17
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