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日々思いつくままに


俳人雄姿の日常
by yuusimatuda

飛鳥路の旅

09,10,13 (火)


11,12日は奈良飛鳥で鍛練会。

10日(土)

仲間6人で1日早く飛鳥に行き、お昼前から石舞台、岡寺、飛鳥寺、甘樫の丘を巡り、樫原神宮前のホテルに泊まった。

   石舞台とんぼの重さ加はれり
   石舞台の石の重さや秋あかね

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石舞台
曽我馬子の墳ではないかとのことだが、まだ、はっきりしていないようだ。何故、この墓の石室が裸になっているか不思議だ。墳の土が周りの田畑の開墾に用いられたりした可能性もあるが、曽我氏滅亡後、蘇我氏に恨みを持つた人の手で暴かれたのではないかという気がする。石棺が外へ運び出されているのからしてもその可能性が高い。大化の改新当時の実情からして、曽我氏を徹底的に抹消する必要があったのかも知れない。翌日回った鬼の俎板、鬼の雪隠という大きな墳跡も墳が暴かれ、石棺が墳から坂下に転がされたのかも知れない。鬼の俎板の墳は、天武、持統天皇稜に程近い。蘇我氏か誰か大きな権力を持った人の墳だったのに間違いないだろう。場合によったら、曽我稲目か蝦夷の墓だったのかも知れない。蘇我蝦夷は自分の墓を作って陵と呼ばせていたという。その蝦夷の墓が何処か分からないとすれば、蝦夷の墓の可能性が強いのではなかろうか。

   飛鳥寺に魔除けの草鞋草の花
   飛鳥仏最も秋思濃かりけり
   千四百年動かぬ仏秋気満つ
   秋気澄むお寺の中の丸ポスト
   明日香路は田舎も田舎柿熟るる
   秋思かな酒船石に腰掛けて

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飛鳥寺跡の安居院にあるの飛鳥大仏
日本で一番古い仏像だそうだ。飛鳥寺に安置されてから、丁度、今年で1400年、その間、この位置を動いていないとのこと。
この仏像は平和のシンボルであると説明に当たった僧が話していた。この仏は曽我氏が権力を握るために大いに利用し、物部との宗教戦争となり、物部氏を滅ぼす切っ掛けを作った仏である。しかし、それはこの仏の罪ではない。

  祭太鼓飛鳥の里に響きけり
  巡査来て飛鳥の里の山車を曳く
  稲の香や飛鳥の里を祭山車
  
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岡寺前の治田神社の秋祭り。太鼓山車をお宮から引き出し急坂を下りて行った。山を下りた山車は太鼓と鉦のお囃子で飛鳥の村を練り歩いていた。

  鵙猛る雷山の頂に
  初紅葉飛鳥の里を一望に
  初紅葉采女のごとく吹かれをり
  遥かなる飛鳥の空を渡り鳥
  神奈備の川瀬の音や秋の風

この日、最後に甘樫の丘に登り、飛鳥の里を一望した。飛鳥は歴史保存のため、今も昔のままの大変田舎である。それでも以前に比べかなり人の手が入っているとのこと。飛鳥時代はこの付近は大変栄えていたという。それにしても飛鳥は狭い。当時飛鳥の都が栄えたと言っても、この狭い地域に収まる程度の都だったのだろう。当時の大和政権はここを中心にして東北を除き日本中を征服し、朝鮮にまで影響を与えていたいとのこと、それが不思議なくらいだ。
甘樫が丘から見た大和三山は山というより、余りにも小さな丘にしか過ぎなかつた。
ところで、当時の飛鳥人の心が万葉集によって現代に伝えられたのは有難い。人麻呂の歌も多くはこの付近で詠まれている。

  人麻呂の妻恋の歌碑秋の風


11日(日)

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橿原神宮

   正に秋天皇紀はここに始まりて
    小鳥来て畝傍の山の賑やかに
   木の実落つ建国の地の杜深く

朝食後、樫原神宮にお参りした。2669年前、神武天皇がここで即位したという。
それにしても当時の天皇は長命だ。神武天皇は127歳まで生きたという。歴史がはっきりした欽明天皇時代以降の天皇の在位は平均10年くらいである。天皇の在位を十年とすると、即位は西暦280年頃ではなかろうか。畝傍山を後ろにした神宮は明治になって建てられたという。


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高松塚古墳

飛鳥の駅から高松塚古墳まで歩いた。ここの美人壁画は既に古墳から持ち出され他所で保管されている。
折角、千四百年近く保存されて来た壁画の保存状態は良くないようだ。墳丘も先の台風で外壁が何箇所か崩れたとのこと。

   飛鳥美人は塚を出払ひ秋うらら
   高松塚に工事の重機鵙叫ぶ

天武、持統天皇稜、鬼の俎板、雪隠、亀石、を経て橘寺へ。 
飛鳥路は意味不明の巨石が多い。この巨石が多くは小高い丘の上にある。何処からどうして持って来たのか良く分からないようだ。多分、古墳建造に関係があったようだ。当時の権力者が如何に力を持っていたが窺がえる。


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橘寺。
ここは聖徳太子が生まれた所だとのこと。刈頃の棚田の上にある。橘寺の名前は田道間守(たじまもり)が探して来た、ときじくの実(橘)の種を撒いたところそれが育ったので、この名前が付いたという。寺域には二面石があり、酔芙蓉がいたるところに植えてあった。二面石は人の善悪の二つの顔とのことだが、素面の時と悪酔いした後の顔とも言える。多分、酔芙蓉はその意味で植えてあるのではなかろうか。

   飛鳥人通ひし小道草の花
   草虱連れて飛鳥路めぐりけり
   二面石は酔ひの前後や酔芙蓉


12日(月)体育の日


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バスで稲淵という飛鳥の奥の棚田村を訪ねた。案山子コンクールがあったとのことで、棚田道には色々の案山子が並んでいた。ここは昔のままに棚田が良く保存されていた。棚田には猪よけの電線が廻らされていてこの付近でも猪が出るようだ。

   飛鳥路のお嫁にしたき案山子かな



  

by yuusimatuda | 2009-10-13 17:48
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