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日々思いつくままに


俳人雄姿の日常
by yuusimatuda

谷中を歩く

08,12,17(水)


昨日、百舌の会だった。
会場は何時もの通り、上野区民館で午後6時から。
句会に出す句がないので、早めに出て日暮里で下車。本行寺から天王寺、全生庵を経て千駄木から地下鉄で湯島に出た。
何時ものコースで折角歩いたのにいい句は出来なかった。

本行寺は日蓮宗の寺で昔道灌の物見塚があった所という。
一茶の友人の一瓢がこの寺の住持をしていたこともあり、一茶は度々ここを訪ねている。
一番安心して付き合えた友人だったらしい。一茶の句風はこの一瓢の影響を受けているとも言われている。

   かげろうや道灌殿の物見塚    一茶

の句碑が本堂のすぐ前に建っている。
これと向き合って山頭火の句碑がある。これはつい最近出来たようだ。

   ほつと月がある東京に来てゐる  山頭火

山頭火がこの寺に来たかどうか知らないが、一茶に縁のある寺と云うことで、若しかしたら訪ねてるかも知れない。

天王寺は天台宗の寺で谷中では大きな寺だ。露座の大仏で知られている。江戸時代は今の宝くじに当る富くじを売り出していたという。その寺の五重塔は昭和32年放火により焼失した。幸田露伴の「五十の塔」のモデルといわれている。今は谷中駐在所の裏に礎石だけが残っている。

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焼けた五重塔の跡

この塔は江戸時代にも行人坂大火で焼けたと云う。この前の日曜日歩いた目黒の行人坂である。そこの大円寺から出た火災で遥かに離れた谷中の寺まで被災したとは驚く。江戸時代の火災の凄まじさが分かるようだ。最近も関東大震災や戦中の空襲による火災被害もあるが、これは火元が大変な数だった。これに比べ江戸の大火の火元は1箇所に過ぎなかったのだ。

谷中の墓地から全生庵に行く途中築地塀の残っている一角を通った。

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築地塀の小路


全生庵は山岡鉄舟の開山と云う。明治に出来た寺であるが、最近は坐禅の寺として知られるようになった。中曽根総理も良く坐禅に通われたと云う。

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全生庵の金色の観音さま

全生庵の前のさんさき坂を下ると、途中に江戸千代紙で知られる「いせ辰」がある。灯火に赤がちの色紙細工が華やかに並んでいる。小さな店だが一般に良く知られている店だ。

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いせ辰のウインドー
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 いせ辰の店の前  


   水琴窟よき音に寒の水鳴れり
   化粧直し終へし露座仏冬青空
   焼亡の塔の芯礎の水氷る
   築地塀銀杏落葉を溜めてをり
   路地ごとに名のある谷中年詰まる
   冬木の桜瘤に力を蓄めてをり
   年詰まる寺町は灯のまばらなる
   いせ辰に千代紙を選る十二月



句会が終って、近くの店で忘年会を開いた。
今年は、春先、この会の最も有力な作家であった句友が亡くなった。淋しいスタートだったが秋口になって活躍する作家が目だってきた。来年が楽しみだ。

by yuusimatuda | 2008-12-17 15:29
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