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08,11,4(火)
家内の入院が長びいている。 入院中の病院が新しい建物を作り、1日から3日にかけて引越した。 通常は病院の荷物を引越し、受け入れ態勢が出来てから患者の引越しをするのだが、今回は違った。まず患者を引越しさせてから、病院の荷物の引越しが始まったのだ。 従って、3日間、引越し荷物の中での入院となった。 その間、風邪を引き熱を出したが、診療体制が出来ていないので、そのまま放置された格好になったようだ。そのため、連休明けに退院とのことであったが、また、しばらくかかりそうだ。変な時に入院したものだ。 1昨日は浦安吟行。 風邪は完全に治っていなかったが思い切って参加した。 浦安は「あおべか物語」で知られるようになったが、昭和30年代までは海苔や浅蜊、蜆漁を主とした漁村で、その漁に用いたのがべか舟であった。浦安のべか舟は青く塗ってあったので、通称「青べか」と呼んだらしい。 昭和30年代に葛西沖と一緒に浦安沖の埋め立てが決まり、多くの漁民が漁業を捨てた。その際、多額の漁業補償が出て補償景気に沸いたが、大金を手にした家の子女の不良化は我々にとって大きな問題だった。 当時、境川を中心に付近の水面はべか舟で一杯だった。浦安だけで2000艘を数えたそうだ。仕事で時折葛西海岸を歩いたが、舟溜りを埋め尽くすようにべか舟が繋がれているのに驚いたのを覚えている。 以来、浦安や葛西沖は埋め立てられ、住宅や工場が出来、東西線が通り、高速道路が出来、やがてJR湾岸線が開通した。特に、その埋立地にデズニーランドが出来てから一躍全国的に知られるようになった。 青いシートを被っている船以外は朽舟、シートを被っているのも、間もなく朽ちてしまうのかも知れない。 繋がれしまま船朽ちて冬近し べか舟の廃りし川や鯔の跳ぶ べか舟を知らず運河に鯊を釣る その頃、浦安が今のようになるとは想像もしなかった。 その後、仕事や俳句でここに来る度、街はどんどん発展し、これに反比例してべか舟が減り、昔の面影は無くなって行った。その名残りが幾らか境川やその岸近くに残っていたが、今回行って見ると、べか舟は全く姿を消し、境川に繋がれている数艘の漁船も漁をしている様子はなかった。繋がれている船のほとんどが朽ちるに任せてあった。 これまで浦安吟行と云うと、舟が沢山繋がれた境川が目的だったが、もう昔の面影は無い。 清滝神社の七五三の走り 産土は綿津見の神七五三 浦安の松の緑や七五三 そのような町に昔の浦安を探しながら歩いたが、昔の浦安には中々ぶっからなかった。 昔、清滝神社の近くの境川沿いに大きな松があったそうだ。今その跡に枝振りの良い松が植えられている。また、猫実の庚申様の松もそう大きくは無いが、かなり年数が経っていそうだ。それらが僅かに昔を偲ぶよすがとなっている。 たまたま当日、清滝神社の早めの七五三でどうにか句材らしい句材に巡り合えた。もう昔を探すより、現在の発展しつつある浦安を詠むのが本道かも知れない。
by yuusimatuda
| 2008-11-04 22:33
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